自由論
一口に「古典」といっても様ざまなあるわけでして、小説にも種類がありますし、小説以外にも「古典」は拡がっているのです。
そんな当たり前のことをようやく発見し心躍らせる今日この頃ですが、ハードな噛みごたえな作品がどうしても多いので、ゆっくり時間をかけないと現代人の顎の力ではすぐに消化不良を起こしてしまいそうです。
そんなこんなで、鍛えること、消化器官系を整えることが、多くの「古典」を楽しむのには必要なのだとやっと気が付きました。
ただ、鍛えたいのではなくて楽しみたいのですから、普段の食事からゆっくりとマイペースに味わっていきたいなぁ。
そこで、授業で手に入れていた本をゆっくりと読んでみました。
On Liberty
ジョン・スチュアート・ミル John Stuart Mill
1859年
自由論
光文社古典新訳文庫
訳者:斉藤悦則
2012年6月20日第1刷発行
発行所:光文社
ミルはイギリスの哲学者でありますが、「質的功利主義者」としての方が有名かと思います。
といった言い回しをきいたことを僕もなんとなく覚えていました。というのも、話題となった東大の元教養学部長石井洋二郎の式辞のなかでも触れられたから覚えていたのだと思います。(一応リンク先を載せておきます。)
少し脱線してしまいましたが、僕は本書をよんでミルのイメージが変わったような気がします。というのも、本書で語られる「自由論」は徹底的な「自由主義」そのものだからです。 それは少し引用するだけでも伝わると思います。
例えば、第1章「はじめに」で
本書の目的は、きわめてシンプルな原理を明示することにある。(中略)その原理とは、人間が個人としてであれ集団としてであれ、ほかの人間の行動の自由に干渉するのが正当化されるのは、自衛のためである場合に限られるということである。<P29/L9>
自分自身にたいして、すなわち自分の身体と自分の精神にたいしては、個人が最高の主権者なのである。<P30/L13>
とはっきりと述べています。
そして、第3章「幸福の要素としての個性」では、
現代人が自分に問いかけるのは、つぎのようなことである。すなわち、自分の地位には何がふさわしいのか。自分と同じ身分、同じ収入のひとびとは、何をするのがふつうだろうか。自分より身分も高く、収入も多いひとびとは、何をするのがふるうだろうか。
(中略)現代人は、世間の慣習になっているもの以外には、好みの対象を思い浮かばなくなっているのである。<P149/L2>
と述べているし、続けて
われわれはなるべく変わった人になるのが望ましい。<P163/L6>
とも述べています。決して「社会主義」的考えではないことはわかりますし、今ある「資本主義」とはかけ離れている考えのようにも思えます。一読することで、ミルは僕にとって「功利主義」の人ではなくなっていました。
こういう本を読むと、「方法の時代」というのは今を正にいい表しているのではないかと改めて感心してしまいます。それだけ、過去の人たちの本を読めば一通り問題は定義され、発見されていることに簡単に気がつくことができる世の中なのだと思います。ですが、だからこそ、僕でも1冊本を手に取るだけでとても効率的にまた一歩世界を知れたような気分になります。
そう、「気分」です。ですが、「方法」を探るのには、今はこれでいいのかなって思っています。
- 作者: ジョン・スチュアートミル,John Stuart Mill,斉藤悦則
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2012/06/12
- メディア: 文庫
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